不登校 毒母 モラハラ(自己愛)の記録と考察

不登校の娘、自己愛性人格障害の母親と向き合った記録とその考察

雑記 -感覚-

特に若い人のお葬式で 号泣している女学生たちの映像をテレビで見ると

私はどんと引いてしまうのです。

これは、恐らく学校での日常を号泣女学生に照らし合わせてしまうからでは と思うのです。

例えば、運動会や体育祭や 卒業式とかでの「団結!」とか「仲間」とかを意識して

大泣きしているのがちょっとした集団ヒステリー状態に感じてしまうのです。

あくまでも私の感覚なので、失礼だなっ と思われたらごめんなさい。

ー流した涙の数だけ幸せになれるよー と 言っておきます。

 

私にとって学校はアホらしい場所でした。

学生時代からそれはずっと感じていることで、

教師にも落胆していた部分が大きかったのではと思うのです。

画一化というのでしょうか

多数と同じであるほうが  "やっていき易い" 場所ですから。

もし、今でも 学校のあの感じ に違和感を感じていらっしゃる方には

共感していただけるのでは と思っています。

一度、教育実習として母校に教師として戻ったときにも

その感覚は変わっておらず、自分は自分に落胆しながら

「教えること」を頑張っていました。

 

学校に居場所が無く、家にも居場所がなく、

いつも緊張に置かれている状況は前回の記事でも書きましたが

あまり食欲が出ないものです。

その上、母親は片付けられない質なので

食事のテイスト自体は美味しいのですが

いつも不衛生で、必ずお腹を壊していました。

一概に不衛生だけが お腹を壊していた原因でもないと今では思えます。

恐らく私の体が弱い個体だったとも言えます。

江戸時代なら間違いなく夭折していたでしょう。

そんな体の弱い娘を一生懸命看病したい母はヒステリックに

その状況に酔っていたのだろうなあ と思い出すのです。

たまに流血を伴う暴力を振るったと思えば、(母が)無邪気に子守唄を歌う。

このアンバランスさはちょっとしたホラーで

そんな狂気の連続の中で育てられた私には

「学校行事」とか「友情」が 生ぬるいものに感じられたのかもしれません。

 

東京はすっかり初夏の陽気です。

新しい環境のかたも 穏やかな日常を過ごされている方も

良いゴールデンウィークになりますよう…