不登校 毒母 モラハラ(自己愛)の記録と考察

不登校の娘、自己愛性人格障害の母親と向き合った記録とその考察

摂食障害について

このブログを書く感覚は、

『娘の不登校

『若い時の私の摂食障害

『毒母』(ミュンヒハウゼン症候群の疑い)

『自己愛性な夫のモラハラ

『虚弱体質で病気、手術と戦ってきた自分』

なるパズルを 全て混ぜ合わせた状態です。

 

このとっ散らかったパズルをそれぞれに分けながら

いつか 完成出来るといい と思っています。

否、膨大過ぎて完成しないかもしれないこともあるかもしれません。

それくらい、果てしない感覚の中に私は居ます。

 

パズルのフレーム部分が組み合わさるまで、

まず、そこら辺を目標にしましょう。

ベイビーステップです。

 

さて、そろそろ今回の本題です。

 

私には、自分と向き合い、

これからの自分のため、或いは同じことで今苦しんでいる人のために

ここに吐露していかなければならないことが

数多くあります。

摂食障害もそのひとつです。

 

摂食障害は長年 情報を得て、勉強した結果、

毒母と(以後→母親)関係が深いことが分かってきました。

 

私の場合は母親の過干渉でした。また、放置でもありました。

まさに、その両極が存在しており、

それがいつも不安定でアンバランスなのです。

父親も母親も仕事柄 家にずーっといます。

ものごころついた頃には

既に「食べること」は私にとって苦手なことに分類されていました。

 

実は、小さい頃の記憶が殆どありません。

精神科医の話では「辛い記憶を消す為に脳が行っていること」だそうです。

 

小学校の頃は時系列が曖昧で 低学年に向かって

記憶の数は少なくなり、

幼稚園以前の記憶はほとんど思い出せません。

小児病棟だったり、手術台だったり

とても断片的で数えるほどです。

麻酔や投薬、精神的負担も記憶を引き出せない原因になっていると思います。

思い返せば

看護師さんが持ってきたバナナ、食事の時間でもないのに急に持ってきたバナナ

これを無理やり食べさせられたことが

自分からすすんで食べたい感情を奪い去ってしまったように感じています。

 

ある日の小児病棟の夕食はハンバーグでした。

とても美味しそうな匂いがします。

私は食べたかった、そう...記憶しています。

しかし、私だけ(術前か治療のため)食べられなかった思い出があります。

泣いたっけ? そんな事すら思い出せません。

 

食べたくない時に食べさせられたり、

逆に、食べたいときに食べられなかったことも

食事に対しての 感情を不安定にさせるには

充分な要因だったでしょう。

 

小学校の給食はいつも残していました。

なぜ、給食を全部食べられるのか

私には不思議でした。

私の摂食障害は知らぬ間に

とっくに始まっていたようなのです。

 

次回 摂食障害の話は「キャンプの思い出」の予定です。

さて、次の更新は母について書こうか、不登校についてか

ありすぎて迷いますね。

 

では〜